病気があるからこそ生きていける② 摂食障害も幻聴も大海原に投げ出された時の浮き輪

看護師 山田祥和

「お酒やリストカットなんてやめればいいのに、なんでやめないの?」

普通の人はそう思うでしょう。

ボロボロになっても、人間関係を失っても、社会的制裁を受けても、、、、それでもやめません。

長年、精神科訪問看護を行っている私は、お酒やリストカットは生きる上で必要なのかもしれません、そう感じることがあります。

それはお酒やリストカット以外でも感じることがあります。

今回は前回の続きです。
今回の記事も、かなり偏った考えですので読み流してください。

前回の記事

食べないことが美徳になる世界


神経性やせ症もまた、多くの人が誤解している病気の一つです。

周囲から見ると、なぜ食べないのかわかりません。
「痩せているのだから食べればいい」
そう思ってしまいます。

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しかし本人の世界では、食べないことに大きな意味があります。

体重が減ると安心する。
空腹に耐えられる自分に価値を感じる。
食べない自分は強い人間だと思える。

逆に食べてしまうと、自分が弱くなったように感じる。
自分をコントロールできなくなったような感覚になる。
食べないことが美徳になっている世界です。

そのため回復は単純ではありません。
体重が増えることは健康になることですが、本人にとっては大切な価値観を失うことでもあります。

だから怖いのです。
病気を手放すことが怖いのです。
(当然、全員が全員そういうわけではありません)

病気は生き延びるための知恵だった

生存戦略か?
精神疾患やその症状を見ていると、人間は賢い生き物だと感じることがあります。

精神症状は
苦しみから逃れるために。
絶望の中で生き続けるために。
こころが本当に壊れてしまわないように。

無意識のうちに様々な方法を生み出しているのかもしれません。
その方法がたまたま病気や症状という形を取っただけかもしれません。

だから病気やその症状には意味があるかもしれません。
病気やその症状には役割があるかもしれません。

その役割を理解せずに病気だけを取り除こうとすると、本人は支えを失います。別の症状がでることもあります。

浮き輪を取り上げられた人のように不安になります。
苦しくなります。
時にはさらに症状が悪化することもあります。

統合失調症を治療することで、幻聴がなくなり、寂しくなったという話は、よくよく聞きます。
人といると幻聴は聴こえないということは、本当によくある状態です。

寂しさ、不安、孤独感を紛らわすための幻聴か?そう感じてしまいます。

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回復とは病気を奪うことではない


では、本当の回復とは何でしょうか。
よくある話で、お酒はやめたけど処方薬の乱用にいってしまった。
リストカットはやめたけど、市販薬の乱用にいってしまった。
摂食障害は良くなったけど、不潔恐怖から手洗い行為が増えてしまった。

私の考える回復とは、単に病気の症状を治療するというより、望ましくない行動を減らしていくことだと思っています。
病気以外の支えを増やしていくということです。

安心できる人がいる。
話を聞いてくれる人がいる。
趣味がある。
仕事がある。
仲間がいる。
自分の居場所がある。

そうしたものが増えていくことで、人は少しずつ病気に頼らなくても生きられるようになります。

お酒しか支えがなかった人が、人とのつながりを持てるようになる。
リストカットしか方法がなかった人が、誰かに苦しいと伝えられるようになる。
食べないことでしか自分を保てなかった人が、ありのままの自分を認められるようになる。

それが回復なのだと私は考えます。

病気は敵であり、味方でもある


病気は確かに苦しいものです。
人生から消せるなら消したいと思うでしょう。
しかし病気はその人を生かしてきた存在なのかもしれません。

病気があったから今日まで生きてこられた人がいます。
病気があったから壊れずに済んだ人がいます。
だから私は病気を単純に否定したくありません。

病気は敵であり、味方でもある。
苦しみであり、支えでもある。
転ばぬ先の杖であり、大海原で溺れそうになった時の浮き輪でもある。

そして回復とは、その杖や浮き輪を無理やり奪うことではないと私は考えます。

回復とは、その症状と向き合い、上手に付き合いながら、安心して生活できることだと私は思います。

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