ピアサポーターは、病気の相手の気持ちがよくわかるって本当?
ピアサポーターK
「ピアサポーターさんなら、私の気持ち、わかってくれますよね」
ピアサポーターとして活動していると、こう言われることがあります。期待してもらえるのはありがたいことです。でも正直に書くと、私はこの言葉を聞くたびに、少しだけ胸がざわつきます。
今日は、ピアサポーターとして感じてきた「わかる」と「わからない」の話を書いてみようと思います。
「同じ病気」には、やさしくなれる
私自身も、精神疾患と付き合いながら暮らしてきました。
同じ病気の経験がある人と話していると、言葉にしなくても伝わる感覚があります。朝、布団から出られない重さ。薬が合うまでの不安。「普通にできていたこと」ができなくなるもどかしさ。
そういう話を聞くと、自然に「わかる」と言えるし、相手のペースを待つこともできます。これはピアサポーターならではの強みだと思っています。
でも、ほかの病気には厳しくなることがある
ここからが、今日いちばん書きたいことです。
当事者同士の場や支援の現場で、こんな場面に出会うことがあります。そして、正直に言えば、私自身の中にもある感覚です。
たとえば、うつ病の経験がある人が、同じうつ病の人の「動けない」には寛容なのに、統合失調症の人の言動には「どうしてそんなふうに考えるの?」と厳しくなってしまう。
あるいは、双極症の人が、同じ双極症の人の気分の波には共感できるのに、依存症の人には「やめればいいのに」と思ってしまう。
自分の病気にはやさしい。でも、それ以外の病気には厳しくなる。当事者同士だからこそ起こる、ちょっと皮肉な現象だなと感じています。
なぜ、そうなるんだろう
はっきりした答えはわかりません。ここからは、あくまで私なりの考えです。
ひとつは
「自分の経験」が物差しになってしまうこと
「私はこうやって乗り越えてきた」という経験は大切なものですが、それがそのまま、ほかの病気の人を測る物差しになってしまうことがあるのかもしれません。
もうひとつは
体験していないことは想像しにくいということ
幻聴や妄想の怖さ、やめたくてもやめられない渇望の苦しさ。体験したことがないと、頭ではわかっていても、なかなか実感までは届きません。
そしてもしかしたら
「自分はあの人たちとは違う」と思いたい気持ち
もあるのかもしれません。偏見を向けられてきた経験があるからこそ、ほかの病気との間に線を引きたくなる。そんなこころの動きも、ゼロではない気がしています。
もちろん、人によって違う
ここまで書いておいてなんですが、これはすべてのピアサポーターに当てはまる話ではありません。
病名に関係なく、目の前の人に自然と寄り添える人もいます。ほかの病気について学び続けて、理解を深めている人もたくさんいます。
逆に、同じ病名だからといって「わかる」とも限りません。症状の出方も、経過も、背景にある暮らしも、人それぞれだからです。
結局のところ、「わかる・わからない」は病名よりも、その人の経験の幅や、相手に向き合う姿勢によるところが大きいのかもしれません。
「わかる」より「わかろうとする」
私は、ピアサポーターは相手の気持ちが全部わかる存在ではないと思っています。わかるのは、せいぜい自分の経験の範囲だけです。
だからこそ、大切にしたいことがあります。
自分の物差しで相手を測っていないか、ときどき立ち止まること
「わかります」と言う前に、「よかったら教えてください」と聞くこと
わからないことを、わからないまま放っておかないこと
完璧にはできません。私もまだまだです。それでも、意識しているかどうかで、相手との関わり方は少し変わる気がしています。
おわりに
「ピアサポーターは、病気の相手の気持ちがよくわかる」
これは半分本当で、半分はそうとは限らない。今の私はそう感じています。
同じ経験を持つからこそ届く言葉がある一方で、経験があるからこその偏りもある。その両方を自覚していることが、ピアサポーターとして大切な一歩なのかもしれません。


