ASDの人が言葉を字義通りに受け取るとき

「適当にやっておいて」が通じないのはなぜか

看護師 山田祥和


私は精神科訪問看護を始めて間もないころ、帰り際に「また来ますね」と声をかけるのが癖になっていました。あるとき、その一言に対して「また、というのはいつですか」と真顔で尋ねられたことがあります。私はとっさに答えられませんでした。次の訪問日は決まっていたのに、私の口から出た「また」は、何も指していない言葉だったのです。
それ以来、自分の言葉がいかに曖昧なまま投げられているかを、考えるようになりました。

「字義通りに受け取る」とはどういうことか

言葉の裏側を補わずに、そのまま受け取る

自閉スペクトラム症(ASD)のある方では、言葉をそのままの意味で受け取る傾向があると言われています。「少し待ってて」と言われれば、少しとは何分なのか分からないまま、延々と待ち続けることがあります。「このあたりを掃除しておいて」と頼まれれば、どこまでが「このあたり」なのか決められず、手が止まってしまいます。
これは理解力が低いということではありません。むしろ、言われたことを正確に扱おうとするからこそ、曖昧さが残ったままでは動けなくなるのです。

冗談や皮肉は、意図が見えにくい

「よく寝てるねえ」と笑いながら言われた言葉を、文字通りの指摘として受け取ってしまい、深く落ち込んでしまうこともあります。言葉の内容と、込められた意図が食い違っているとき、その差を読み取るのは簡単ではありません。相手は場を和ませようとしているのに、受け取る側には責められたことだけが残ってしまう。どちらにも悪意がないまま、気持ちだけがすれ違っていきます。

なぜすれ違いが起きるのか

日常の言葉には、情報が抜け落ちている

私たちは普段、驚くほど省略した言葉で話しています。「例のあれ、やっといて」で通じてしまう場面も多いものです。けれどもそれは、抜けている情報を聞き手が勝手に補ってくれているからです。補う作業が自動で進まない相手にとって、省略された言葉は穴だらけの指示になります。

推測する作業そのものに、負担がかかる

表情や声の調子、その場の雰囲気から相手の意図を推し量ることは、ASDのある方にとって大きな労力を伴う作業になることがあります。何とか推測できたとしても、そのために使った力の分だけ疲れが残ります。会話の後にぐったりしてしまうのは、気を遣いすぎたからだけではないのかもしれません。

「常識で分かるはず」が共有されていない

伝える側は、言わなくても分かるだろうと思って省きます。受け取る側は、言われていないことは含まれていないと考えます。どちらも誠実にやり取りしているのに、前提が違うだけで話が噛み合わなくなります。そして噛み合わなかったとき、たいてい責められるのは受け取った側です。言われた通りにやったのに怒られる、という経験が重なると、人に何かを頼まれること自体が怖くなっていきます。

伝える側ができる工夫

数字と具体に置き換える

「少し待ってて」は「十分待ってて」に、「このあたり」は「テーブルの上だけ」に。数字や範囲を入れるだけで、動き出しやすさが変わります。細かく言うと冷たい感じがするかと心配になりますが、受け取る側にとっては、はっきりしているほうがずっと楽なことが多いようです。

「適当に」「いい感じに」を言い換えておく

便利な言葉ほど、意味が定まっていません。使いそうになったら、自分が本当に望んでいる状態を一度頭の中で言葉にしてみてください。「いい感じに」と言いたくなるとき、自分でも何を望んでいるのか決まっていないことに気づくこともあります。

してほしくないことより、してほしいことを伝える

「散らかさないで」と言われても、ではどうすればよいのかは示されていません。「使ったらこの箱に入れて」と言われたほうが、行動に移せます。否定形は情報が少なく、受け取る側に推測を求めてしまいます。

確認は「分かった?」ではなく、復唱で

「分かった?」と聞くと、多くの人は反射的にうなずきます。本人も分かったつもりでいることがあります。「どうするか言ってみて」と確かめると、ずれが見つかることがあります。そのずれが見つかるのは、むしろありがたいことです。

受け取る側ができる工夫

分からないときの一言を、先に決めておく

その場で質問の仕方を考えるのは大変です。「どのくらいか教えてもらえますか」「どこまでやればいいですか」といった一文をいくつか用意しておくと、とっさの場面でも使えます。毎回うまく言えなくても構いません。言えた日が少しずつ増えていけば十分です。

聞き返すことは、失礼にはあたりません

何度も確認すると迷惑ではないかと気にされる方は多いものです。けれども、後からやり直しになるより、先に確かめたほうが互いに助かります。聞き返す回数が多い日があってもいいのです。

すれ違った後のこと

どちらが悪かったかを、決めなくていい

言葉が通じなかったとき、聞いていなかったと責めたり、自分の理解力のせいだと落ち込んだりしがちです。けれども多くのすれ違いは、言葉そのものに穴があっただけのことかもしれません。穴に気づけたなら、次からその穴を埋めればいいだけです。
身近な方へ。もし日ごろの言葉が通じにくいと感じているなら、相手の受け取り方を直してもらうより、自分の言葉に数字と具体を足してみるほうが、たいてい早く届きます。そして、そうやって言葉を整えてみると、自分が何を望んでいたのかが自分でもはっきりしてくる。私はそこが、この工夫のいちばん面白いところだと思っています。

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