強迫症(強迫性障害)と仕事 働くことは「自己肯定感を取り戻すリハビリ」
看護師 山田祥和
はじめに
「鍵を閉めたか」「手を洗ったか」「間違っていないか」
頭の中で同じ確認が止まらず、気づけば時間が過ぎている。強迫症(OCD)は、そんな不安を解消するためのループに苦しむ病気です。
本人にとっては、ただの「心配性」ではありません。
頭では「もう大丈夫」とわかっていても、心が納得できないのです。この「不安のスイッチ」が一度入ると、確認や儀式行動を繰り返してしまうのです。
そして、この強迫症を抱えたまま働くことは、簡単なことではありません。
それでも、多くの人が不安と共に社会で頑張っています。
今日は、訪問看護を通して見てきた「強迫症を抱えていても、働くことで自己肯定感ご高まるか」についてお話しします。
強迫症(強迫性障害)と「働くこと」の難しさ
強迫症の人が働くとき、まずぶつかるのは不安と疲労です。
たとえば、
メールを送る前に何度も確認し、時間がかかる
共有物を触ることに強い抵抗を感じる
完璧でない自分を許せず、残業を繰り返す
「失敗したらどうしよう」と考え続けてしまう
こうした行動は「怠け」でも「努力不足」でもありません。むしろ人一倍まじめで、責任感が強い場合がほとんどです。
しかし、その誠実さが「不安の燃料」になってしまうのです。

“できた”という実感が生まれる場所
訪問看護や就労支援の現場で感じるのは、働くことが自己肯定感を再び芽生えさせる力を持っているということです。
強迫症の方の多くは、「自分はダメだ」「迷惑をかけている」と感じやすく、日常の中で達成感を味わう機会が少なくなりがちです。
けれど、仕事には小さな成功体験の積み重ねがあります。
「今日は時間通りに出勤できた」
「確認を三回で終えられた」
「上司にありがとうと言われた」
「働くことが誰かの役に立っている」
たったそれだけの出来事かもしれませんが、その人にとっては大きな一歩なのです。
「自分にもできた」という感覚が、自分を肯定する感情を少しずつ取り戻していくのです。
働くことは“治す”ことではない
強迫症の治療は、薬物療法や認知行動療法などの医学的アプローチもありますが、それと同じくらい大切なのが、社会での役割を持つこと。
「誰かに必要とされている」「役に立っている」という体験は、人の回復を支える大きな力になります。
働くことは、症状を“治す”ためではなく、「自分を取り戻すリハビリ」のようなものです。
不安を消す場所ではなく、“不安を抱えながらも前に進める自分”を確かめる場所です。
一般就労が難しい場合は、障害者枠やまずは就労継続支援B型でもいいと思います。
自己肯定感が生まれる3つの瞬間
① 認められる瞬間
上司や同僚、支援者から「ありがとう」「助かったよ」と言われること。それは、どんな薬にも勝る自己効力感を育てます。
他者評価が自己肯定に繋がるのは、決して依存ではありません。「他人が自分を認めてくれた」という経験が、自分を信じる練習になるのです。
② 続けられる瞬間
強迫症の人にとって、「継続できた」という実感は特別です。昨日と同じ場所に行けた、同じ時間に出勤できた。それだけで、心が少し軽くなる。継続は自己信頼の積み重ねであり、「今日もできた」ことが明日の自信を作ります。
③ 人と関われた瞬間
症状が重いとき、人との関わりが怖くなることもあります。
それでも、職場の中で交わす「おはよう」「お疲れさま」が、社会との接点を取り戻すきっかけになります。
「自分はここにいていい」と感じる瞬間こそ、自己肯定感の根っこにあるものです。
支援者・職場にできること
1. 否定ではなく「共感」から始める
「そんなに確認しなくていいよ」と言っても、本人には届きません。まずは、「不安なんですね」と気持ちを受け止めること。
そこから一緒に「どうすれば安心して働けるか」を探す姿勢が大切です。
2. “終わり”を一緒に決める
強迫行動には“終わりが見えない”ことが多いです。たとえば「提出はこのチェックリストまで」など、安心のためのルールを共有することで、少しずつ完了体験を作れます。
3. 「失敗しても大丈夫」という空気を作る
強迫症の人は、失敗への恐れが強い傾向にあります。
失敗しても責められず、むしろ「挑戦したこと」を評価する文化がある職場は、安心して行動できる土台になります。

完璧を手放す勇気
強迫症の人の多くが、「完璧でなければならない」という思いに縛られています。
でも、支援の現場で感じるのは、完璧でないからこそ人は優しくなれるということ。
自分の弱さを知っている人ほど、他人の痛みに気づける。
だからこそ、強迫症の人が社会で働くことには意味があります。
それは、単なる就労ではなく、生きる力を取り戻すプロセスです。
不安と共に、それでも生きる
強迫症の人にとって、不安は「消すべき敵」ではなく、一緒に生きていくこと「伴走者」のような存在かもしれません。
働くことは、その不安を抱えながらも「できた自分」を見つける日々です。完璧ではなくても、進めなくてもいいです。「今日もここにいる」という実感が、何よりの回復の証です。
社会が少しだけ待ってくれれば、強迫症の人は、驚くほどの粘り強さと誠実さを見せてくれます。
働くことは、苦しみを癒すための戦いではなく、
「自分を信じ直すための場所」なのです。

