大人の境界知能 グレーゾーンで生きる生きにくさ
看護師 山田祥和
最近、「境界知能」という文字をよく目にします。境界知能をテーマにした記事もよく見かけます。
境界知能とは何か?
「境界知能(ボーダーライン知能)」とは、知的障害とまでは診断されないものの、平均よりやや知的能力が低いとされる状態のことを指します。
具体的には、IQでいうと70~85程度。知的障害の診断基準(IQ70未満)には該当しないため、医療や福祉の支援を受けにくいグレーゾーンの立ち位置にあります。

宮口幸治先生の「ケーキを3等分に切れない非行少年たち」でも、少年院の彼らは一見すると普通に見えるが、抽象的な思考や先を見通す力、複雑な指示の理解が苦手であり、そのことが非行や社会的困難に繋がっていると指摘しています。
つまり生きにくいのです。
学校生活でのなんとなくの生きづらさ
境界知能の子どもたちは、多くの場合、通常学級で生活しています。しかし、授業のスピードについていけなかったり、抽象的な思考が苦手だったりすることがあります。
「ちょっと理解が遅い子」「要領が悪い子」と見られてしまい、本人も苦しみます。周囲からは怠けているように見えてしまい、叱られてしまうこともしばしばです。
学校の勉強でも、分数くらいから躓き始め、周りは出来ているのに自分は、、、
自信が持てないまま大人になります。
社会に出てから直面する壁
大人になると、境界知能による困りごとはますます顕在化していきます。
仕事での単純ミスが多かったり、人との距離感がつかめなかったり、一度にたくさんのタスクがあるとパニックになったりと、社会生活のさまざまな場面で「うまくいかない」感覚にぶつかります。
周囲から「何故できない?」「普通にできるはず」と思われ、頑張っても上手くいかず、何度も挫折を味わい、自己肯定感を下げてしまう人も少なくありません。
自己肯定感の低下は、場合によってはうつ病、不安障害などの二次障害を引き起こします。
見た目ではわからない苦しさ
境界知能を持つ人たちは、一見すると“普通”に見えることが多いです。
だからこそ、周囲の理解が得られにくく、「できるのにやらない人」と誤解されることが多いのです。
でも、本人はできないことに悩み、苦しんでいます。そしてその苦しみを、誰にも言えずに抱えてしまうことがあります。
そして、支援の“狭間”にあります。
制度の壁も、大きな問題で、知的障害や発達障害と診断されれば福祉サービスの対象になりますが、境界知能だけでは制度の対象外になってしまうことが多く、支援にたどり着くのが非常に困難です。
「診断がつかないから支援がない」――これは、本人にとっても、家族にとってもつらい現実です。
少しの配慮が、大きな力に変わる
では、私たちにできることは何でしょうか。
それは、「できる・できない」で判断するのではなく、「どうしたらできるか」「どう支えたら力を発揮できるか」を一緒に考えることです。
ゆっくりでも丁寧に説明する、環境を整える、焦らせない――ほんの少しの配慮が、大きな支えになります。
何より二次障害を起こさないことです。できないことを全力で頑張るのではなく、苦手を受け入れ、少しでも得意なことを頑張るような支援が大切です。

境界知能の人たちが生きやすい社会へ
今、発達障害や学習障害などとの関連も指摘され、支援の対象として見直されつつあります。
就労支援や教育支援の現場でも「グレーゾーン」に対する理解が進み始めてはいますが、まだまだ十分ではありません。
普通級では、面積の計算や因数分解、古文漢文など、生きていく上であまり使わない勉強をします。
苦手な勉強で自尊心を低下させる可能性があります。学校がつまらなくなり、不登校になる可能性もあります。
それであれば、その時間で生活に役立つお金のリテラシーや人間関係の工夫など学んだ方が有意義です。
支援級では無理に苦手な勉強をさせるわけではありません。支援級という選択肢もありですね。
境界知能は一見わかりません。しかし、その生きづらさは確かに存在しています。
もし身近に「ちょっと不器用な人」がいたら、その人も懸命に社会と向き合っているかもしれません。
知的な能力は努力でどうこうなる問題ではありません。頑張りが足りないわけではないのだから、イライラせず、決して否定せず、できている部分に目を向けるといいですね。
それが、誰もが生きやすい社会をつくるための第一歩だと思います。