「人はどうしてこころを病むのか」を考えてみた

最近のスマホの進化で、生活が便利になったことを実感します。買い物もできる。娯楽もできる。仕事もできる。もう手放せません。

ですが、人類は確実に進化しているのに、こころは進化していないように感じます。

人は生きやすいようにどんどん進化しています。が、何故生きにくい精神疾患がこの世に存在するのでしょう?必要がないなら進化の過程でなくなってもいいはずではないでしょうか?
なんて思うことがあります。

進化の過程でこころの病は取り除かれなかったのか?


人類の進化は、目覚ましい技術革新の連続によって形作られてきました。産業革命以降、蒸気機関や電気の発明、冷蔵庫やテレビの普及、車や飛行機による移動手段の発展、そしてスマートフォンやインターネットによる情報革命が起きています。

これらの技術は、私たちの生活を便利にし、より豊かな社会を築き上げてきました。

また、人類の身体も進化を遂げ、2足歩行による自由な移動、器用な手による道具の利用、そして高度に発達した脳がその礎を支えています。

しかしながら、こうした物質的・身体的な進化とは裏腹に、「こころ」の進化には疑問が残ります。

技術が進歩し、生活が便利になる一方で、人間のこころは時に不安定で、壊れやすいものに感じられます。

気分の落ち込みや過剰な不安感、時にはパニック発作に見舞われることもあります。それらの現象は、現代社会の「便利さ」とは対照的に、生活に大きな支障を与えることも少なくありません。

動物と人間の進化の違い


キリンの長い首、カメレオンの擬態、チーターの速い足、シマウマの縞模様――動物たちの進化は、生存と繁殖のための戦略として形作られてきました。これらの進化は、明確な生存のための目的を持ち、それぞれの環境に適応しています。

人間も同様に、生きるための進化を遂げてきたはずです。火を使い、住居を建て、食料を保存し、より長く安全に生きるための手段を次々に生み出してきました。

しかし、その中で「精神疾患」と呼ばれるこころの病は、どのような役割を果たしているのでしょうか?果たして、こうしたこころの不安定さは人類の進化において「必要」なものなのでしょうか?

次回はこころの病の進化的意義を考えていきたいと思います。