学校に行く意味を考える 病気になるくらいなら行かない方がいいのか?
看護師 山田祥和
「泣いても吠えても、我が家に学校に行かないという選択肢はありません」
「うちの子は集団が苦手だから、絶対に学校には行かせません」
「なんとか学校にさせるようにしてください」
ご家庭によって、学校に対する考え方は様々です。学校に行った方がいいのか?それとも学校に行かない方がいいのか?本日は、不登校支援をしている支援者として「学校に行く意味」について考えてみたいと思います。

SNSやAIはどう答えているか
今は、何かを調べようと思えばすぐにSNSやAIが答えを示してくれる時代です。
「学校に行く意味」と検索すると、勉強をして知識を身につけるため、人間関係を学ぶため、社会性を身につけるため、将来の進学や就職のため、といった答えが並びます。
どれも正しいと思います。学校は学力を育てる場であり、人間関係を学ぶ場であり、社会に出る準備をする場でもあります。
しかし、支援の現場で子どもたちと向き合っていると、もう少し大切にしたい視点があると感じています。
病気になるくらいなら、行かなくてもいい
一番に言えることは、「病気になるくらいなら、学校に行かなくてもいい」ということです。
朝になると腹痛や吐き気がする。夜眠れない。涙が止まらない。うつで活気がない。「消えたい」と思ってしまう。
そこまで心や体に症状が出ているなら、それは限界のサインです。
無理を続けることが努力とは限りません。命や健康より大切なものはありません。これは甘えではなく、自分を守るための判断です。
まずは心と体を整えることが最優先です。
学校は「小さな社会」を経験する場
その上で、学校の意味を考えてみます。
学校は子どもにとって最初に出会う「小さな社会」です。
そこでは勝ち負けを経験します。
テストの点数、運動会や部活動の結果、クラスでの評価。
勝つ経験は自信になります。
負ける経験は悔しさや努力の意味を教えてくれます。
社会に出れば、評価や競争は避けられません。資本主義ならなおのことです。学校はその予行練習の場でもあります。大切なのは、勝ち続けることではなく、負けたときにどう立て直すかを学ぶことです。
人とのつながりを深め、人間関係を学ぶ場
学校では毎日、多くの人と関わります。
仲良くなる経験。衝突する経験、誤解される経験、仲直りする経験
こうした体験の中で、「どう伝えるか」「どう我慢するか」「どう頼るか」「これを言ったら嫌われる」「こうしたら喜ばれる」などを学びます。
SNSやAIでは知識は得られますが、人間関係の感覚までは十分に得られません。顔が見れる実際のやりとりの中でしか育たない力があります。
勉強して知識を深める場
学校の重要な役割の一つは、やはり学びです。
国語で言葉を学び、数学で考える力を養い、理科で自然の仕組みを知り、社会で歴史や制度を理解する。
微分積分やルート、化学式や古文など、私は大人になってから一切使っていません。
それでも知識は将来の選択肢を広げます。
知らないより、知っている方が可能性は広がります。
だからこそ、心身が安定していて行ける状態であれば、学校には行った方が良いと私は思っています。経験できること、得られることは確かに多いからです。

それでも、学校がすべてではない
ただし、学校が人生のすべてではありません。
環境が合わない場合もあります。発達特性や体調、家庭状況によっては集団生活が大きな負担になることもあります。
みんなと同じように通うことだけが正解ではありません。
大切なのは、「学校に行くこと」そのものではなく、「社会とつながっていること」です。
大切なのは「安心」と「つながり」
フリースクールでもいい。通信制でもいい。地域活動でもいい。家庭の中で役割を持つことでもいい。
誰かとつながり、自分には価値があると感じられること。それが回復と成長の土台になります。
行けるなら行った方がいい。
でも、無理なら整える。
このバランスがとても大切です。
私の関わり
私は支援者として、「行かせること」を目標にはしていません。その子が安心して生きられることを大切にしています。
学校は、勝ち負けを経験する場であり、人とのつながりを深める場で、人間関係を学ぶ場でもあります。そして、知識を深める場でもあります。
確かに意味のある場所です。
しかし最優先は健康です。
学校に行く意味を考えることは、その子にとって今、何が一番大切かを考えることでもあります。
焦らなくていい。比べなくていい。学校は長い人生の一つのステージです。
まずは心と体を守ること。その上で、その子なりの歩幅で前に進めばいい。
私はそう考えて、日々関わっています。

