「頭が痛い」「胸が痛い」 精神疾患を持っていると、気持ちの問題にされてしまう現実

看護師 山田祥和

精神疾患があると身体の不調は軽視されやすい


精神疾患を持つ人が「頭が痛い」「胸が苦しい」「息がしづらい」と訴えたとき、その症状が身体ではなく「気持ちの問題」として扱われてしまうことがあります。
これは決して珍しい話ではなく、医療や支援の現場で繰り返し起きている問題です。

「胸が痛い」という訴えから始まった受診同行


私が担当している利用者さんは、胸の痛みが続いていました。不安が原因なのか、身体の異常なのか、本人にも分からない。ただ、確実に「痛み」はあり、日常生活にも影響が出ていました。

改善が見られないため、私は病院受診に同行しました。

抗精神病薬を伝えた途端に打ち切られる診察


内科の診察室で、これまでの受診歴と、現在抗精神病薬を内服していることを伝えました。すると医師から返ってきたのは、

「精神科に行った方がいいですね」

という一言でした。
聴診もなく、検査の提案もなく、身体の評価はほとんど行われませんでした。

「異常なし」の履歴が生む心因性への決めつけ


確かにその利用者さんは、過去に何度も受診し、血液検査、CT、MRIでも異常なしと言われてきました。
しかし、「これまで異常がなかった」ことと、「今の症状を検査せずに心因性と決めつけてよい」ことは別の話です。

精神疾患があるというだけで、身体症状の評価が省略されてしまう構造的な問題があります。

精神疾患と身体症状は切り離せない


精神疾患では、自律神経の乱れ、ホルモンバランス、筋緊張、過換気、内臓感覚の過敏などにより、実際に強い身体症状が出ることがあります。
これは医学的にも説明できる現象であり、「気のせい」ではありません。

それにもかかわらず、「精神のせい」と一言で片付けられてしまうと、当事者は強い無力感を抱きます。

ラベルが診断の幅を狭めてしまう危険性


「精神疾患がある人」というラベルが貼られた瞬間、身体症状が信用されなくなる。
これが現場で実際に起きていることです。

精神疾患のある人は、痛みや違和感を言葉で説明すること自体が難しい場合もあります。うまく伝えられないことで、「大したことがない」と判断されてしまうことも少なくありません。

「どうせ精神のせいにされる」という受診回避


こうした経験を繰り返すと、当事者は次第に受診を避けるようになります。

どうせ診てもらえない、また精神のせいにされる、迷惑がられるだけ

その結果、本来であれば早期対応が必要な身体疾患が見逃されるリスクも高まります。

「やっぱりね」という諦めの言葉


診察後、利用者さんはこう言いました。

「やっぱり、そう言われると思ってた」

この言葉には、怒りよりも諦めがにじんでいました。症状だけでなく、医療への信頼もまた静かに失われていきます。

精神疾患があるからこそ必要な丁寧な身体評価


向精神病薬の副作用なのか、生活リズムの乱れからきているのか、運動量の低下が原因か、栄養状態や睡眠不足のおそれなど。

精神と身体は常に影響し合っています。だからこそ、精神疾患がある人ほど、身体症状を丁寧に評価する必要があります。

「異常がない」と確認することの意味


検査の結果、大きな異常がなかったとしても、それは無意味ではありません。
「ちゃんと調べてもらえた」「身体として問題ないと分かった」という経験は、不安の軽減につながります。

気持ちの問題にする前に立ち止まってほしい


「気持ちの問題ですね」と言う前に、「身体として何が考えられるか」を一度きちんと見る。それだけで救われる人がいると思います。

身体の訴えは尊厳の問題でもある


「頭が痛い」「胸が痛い」その言葉の裏には、「ちゃんと聞いてほしい」「人として扱ってほしい」という切実な願いがあります。

精神疾患を持っているからといって、身体の声が後回しにされてよい理由にはなりません。
医療でも支援でも、身体の訴えを先に消さない姿勢が、当事者の尊厳を守る第一歩だと感じています。

受診に付き添って、「精神科かー」と嫌な顔をされたので、問題提起する意味で記事を書きました。

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