摂食障害は「家族の病」 共依存と巻き込まれを超えて、回復へ向かう母と娘
看護師 山田瑞枝
摂食障害という病は、静かに、しかし確実に家族をも巻き込んでいきます。
私は訪問看護の現場で、これまで何度もその姿を見てきました。
「どうしたらいいのか分からない」と泣きながらも娘を支え続ける家族。そして、母親の愛情が、時に本人の苦しみを深めてしまうことがある現実を。
本稿では、ある女性の事例(脚色して個人が特定られないように許可をとっています)を通して、「家族が巻き込まれる」ということ、「共依存」という構造、そして「回復のきざし」について私の視点からお伝えしたいと思います。
高校生の頃から始まった「戦い」
発症は高校2年生の頃。
きっかけは、クラスメイトの何気ない一言でした。
「ちょっと太った?」
その言葉が心に刺さり、彼女は食べることが怖くなりました。
最初は軽いダイエットのつもりでしたが、体重が減るたびに「まだ足りない」「もっと痩せたい」という思いが強くなり、いつしか日常のすべてが「体重」に支配されていきました。高校生の頃のダイエットから始まるケースは珍しくありません。
朝起きた瞬間から夜寝るまで、何度も体重計に乗り、少しでも数字が増えるとパニックになる。
食べた分だけ罪悪感に襲われ、深夜に何時間も歩き続ける。お風呂に長時間入り、また歩く。
それが日課になっていきました。
母親は「無理に食べさせたら逆効果だ」と分かっていながらも、娘が骨のように細くなっていく姿を前に何もできず、ただ見守るしかありませんでした。

「生きていてほしい」だけなのに
体重が30kgを切っても、本人には危機感がありませんでした。
「私は大丈夫」「まだ太ってる」——その言葉を繰り返しながら、倒れても病院に行くことを拒みます。
これは意志の弱さではなく、病識の欠如という症状です。
母親は、毎朝娘が呼吸しているか確認するところから一日が始まる。
ベッドの中で冷たくなっていないか、恐る恐る覗き込む。
一緒に暮らすことが「命の監視」になってしまうのです。
食事の時間は、家族にとって“恐怖の時間”。
母親が出した料理を見て、娘は何度もフォークを置く。
一口食べては「太る」と言い、涙を流しながら吐き出す。
「お願いだから食べて」と泣く母に、娘は「分かってるよ!」と叫ぶ。
そのやり取りが毎日続きました。
摂食障害は「亡くなる病気」
摂食障害は、見た目以上に命に関わる病気です。
極端な低体重による不整脈、電解質異常、腎不全、うつ状態による自殺リスク。
一度でも命を落としかけた人も少なくありません。
支援者として関わる中で、母親の苦しみは想像を超えています。
「何が悪かったのか」「どうしてこうなったのか」と自分を責め続け、眠れなくなる母。
娘の体調変化に一喜一憂し、少し食べただけで安心し、また吐いたと聞くと絶望する。
母親自身も“摂食障害の被害者”になってしまうのです。
共依存という見えない鎖
母親は、娘を守るために全力を尽くします。
しかし、その努力が時に病を強化してしまうこともあります。
たとえば、
娘が食べたくないと言えば、母も一緒に食べない。
娘が一日中歩くなら、心配で一緒に歩く。
娘がルーティン通りに動けないと不安定になるから、母も生活を合わせてしまう。
こうして、母親の生活が「娘の病のリズム」に支配されていくのです。
これは愛ゆえの行動ですが、同時に共依存の典型でもあります。
支援者として母親に伝えるのは、「あなたの人生を取り戻してください」ということ。
“助ける”から“見守る”へ。
これは簡単なようで、最も難しいことです。
摂食障害の多面性——拒食と過食のはざまで
彼女の症状は一定ではありませんでした。
時期によって、拒食と過食嘔吐を繰り返す「混合型」でした。
食べられない時期には、水だけで数日過ごすこともありました。
逆に、強いストレスをきっかけに過食に転じ、夜中に一気に食べては吐く。吐きタコを作らないようにチューブ吐きをしていました。
冷蔵庫の中身が一晩で空になり、母親が翌朝片付けながら涙を流す——そんな日もありました。
この病の怖さは、「治った」と思った矢先に再発することです。
母親が少し安心したその隙に、また別の形で症状が顔を出す。
家族は常に緊張状態の中に置かれるのです。

看護師としてできること
訪問看護の現場では、本人のケアと同じくらい、家族支援が重要です。
母親が安心できる時間を作り、気持ちを吐き出す場を確保すること。
「娘のために」と頑張りすぎる母に、「お母さんが倒れたら娘さんも困ります」と伝えます。
そして、母親に「娘さんと病を分けて考える」練習をしてもらいます。
娘の言動がすべて“病の声”であること。
それに反応して怒ったり悲しんだりしても、娘には届かない。
病を責めず、本人を責めず、静かに寄り添うことが支援の核心です。
訪問のたびに、母親の表情は少しずつ変わっていきます。
最初は緊張と涙ばかりだった顔が、次第に「娘以外の話」をできるようになる。
その変化こそ、家族の回復の始まりです。
不登校支援もそうですが、家族が元気になると、その子どもも元気になることが多々あります。
「働き始めて」変わった娘の表情
数年にわたる闘病の末、彼女は少しずつ回復の兆しを見せ始めました。
転機となったのは、「仕事に就いたこと」でした。
初めは週に数回の短時間勤務。
それでも社会の中で自分の役割を持てたことが、大きな自信になりました。
「誰かの役に立っている」と感じる瞬間が、食事への恐怖よりも少しだけ強くなっていったのです。
母親もまた、少しずつ距離を取れるようになりました。
「今日は何を食べた?」と聞くことをやめ、「今日はどんな仕事をしたの?」と尋ねるようになった。
“食べる”ではなく、“生きる”ことを軸にした会話に変わっていったのです。
支援者として感じた「希望」
摂食障害は、完全な“治癒”というよりも、“回復を続ける生き方”です。
再発を恐れながらも、自分と向き合い、少しずつ前に進んでいく。
母親は今、「やっと、普通の親子に戻れた気がする」と話します。
娘の体重や食事の量に一喜一憂するのではなく、笑顔や言葉の温かさに目を向けられるようになった。
娘が笑うと、母も笑う。
その自然なやり取りが戻ってきたことこそ、何よりの回復の証です。
看護師として、私は思います。
家族の回復があってこそ、本人の回復がある。
母親が「自分を生きる」ことを取り戻した瞬間、娘もまた“生きる力”を思い出すのです。
「助ける」から「信じる」へ
摂食障害は、治療の道のりが長く、そして孤独な病です。
しかし、その過程には確かな変化と希望があります。
母親が自分を責めず、焦らず、ただ「今日も生きてくれてありがとう」と思える日が来たとき、家族も、そして本人も、ようやく回復の入り口に立つのだと思います。
彼女は今、働きながら少しずつ自立への道を歩んでいます。
「食べること」はまだ苦手。でも、「生きること」は諦めていない。
その姿を見て、母は静かに涙をこぼしました。
「あの日の苦しみも、きっと無駄じゃなかった」
そう言えるようになった母の笑顔が、何よりも尊い回復の証でした。

