家庭でできる不登校支援の実践例 家族で育む考える力とコミュニケーション力
看護師 山田祥和
不登校の子どもたちを支援するうえで大切なことの一つに、「考える機会」と「人と話す機会」があります。
学校に行けない状況が続くと、どうしても家庭内での会話が単調になったり、自分の意見を発表する場面が減ったりしがちです。
ゲームやSNSでも考えることや人との交流は得られますが、限られます。
私たちはそのような中で、訪問看護の時間を活用して、時には兄弟姉妹を交えてテーマを決め、家族でじっくりと話す時間を設けています。
先日の土曜日の訪問では、ちょうど兄妹四人(他の兄妹は学校に行けている)が揃っていました。そこで取り上げたのが「トロッコ問題」と呼ばれる有名な思考実験です。

トロッコ問題とは
トロッコ問題とは、哲学や倫理学でよく扱われる問いの一つです。線路を走る無人のトロッコがこのまま進むと、作業員5人をひいてしまう。しかしレバーを引けば、進路を切り替えて別の線路に誘導できる。ただし、その先には1人の作業員がいて犠牲になる。
さて、あなたはレバーを引くべきか、それとも何もしないべきか──。
命の重さや行為の責任について、明確な答えのないジレンマを提示する思考実験として知られています。
兄妹四人それぞれの答え
この問いかけに対し、四人の兄妹がどのように答えたかは実に対照的でした。
高2のお兄ちゃんは、「自分は手を汚したくないから何もしない」と答えました。たとえ5人が犠牲になっても、自らの行為によって人を傷つけることを避けたいという価値観です。
中1の妹は、「たくさんの命を助けるべきだからレバーを引く」と即答しました。多数を救うという合理的判断を優先する姿勢が見られます。
小4の妹は「クジで決める」と話しました。公平さを保とうとする直感的な考えであり、子どもならではの発想として興味深いものでした。
そして、中学生の本人(訪問看護の対象者)は「そんなこと現実には起こらないから考えるだけ無駄」とバッサリ。問いの前提そのものに疑問を投げかける姿勢は、ある意味で最も現実的とも言えるでしょう。
同じ両親のもと、同じ家庭環境で育ってきた兄妹であっても、このように考え方はまったく異なります。ここには、それぞれの年齢や価値観、世界の見え方が反映されていることがわかります。
不登校支援における「対話」の価値
トロッコ問題の答えは重要ではなく、家族間のやり取りが重要です。このようなやり取りは、学校に通えていない子どもにとって非常に意味のある経験となります。
単に勉強の遅れを補うのではなく、自分の考えを言葉にし、他者の意見を聞き、違いを受け入れる。そうした経験が、社会に出たときに必要な「対話する力」や「多様性を尊重する感覚」につながっていきます。
また、兄弟姉妹を交えて話すことは、本人にとって大きな刺激になります。自分の考えと他の兄妹の考えを比較することで、「自分の意見も一つの答えである」と気づくことができるからです。
学校に行けなくても、家庭の中でこうした機会をつくれば、子どもは確実に成長していきます。
訪問看護師が同席することも重要です。専門職がいることで、家族の会話が単なる雑談ではなく、教育的・心理的な意味を持った「学びの場」へと変わります。看護師は必要に応じて問いを投げかけたり、意見を整理したりしながら、安心して考えを表現できる環境を整えていきます。

多様な価値観を認めることから始まる支援
不登校支援の現場では、「どうすれば学校に行けるか」が議論の中心になりがちです。しかし、学校に行く・行かないに関わらず、子どもたちが「考え」「話し」「自分の意見を持つ」ことは同じくらい大切です。今回のトロッコ問題をめぐる兄妹の議論は、そのことを改めて示してくれました。
手を汚したくないから何もしないという選択も、たくさんを救うために行動するという選択も、くじ引きで決めるという発想も、そして「考えても無駄」という批判的な見方も、それぞれがその子の価値観であり、正解・不正解はありません。
むしろ、その多様な価値観を大切にし合うことこそが、今の子どもたちに必要な学びなのです。
まとめ
私たちが行っている不登校支援は、学校に行けないからこそ「家庭での学びと対話の場」を意識して設けることに特徴があります。
今回のようなトロッコ問題を題材にした家族ディスカッションは、子どもたちの考える力を引き出し、人と意見を交わす経験を積ませる良い機会となります。
不登校は決して「何もしていない」時間ではありません。適切な関わり方をすれば、学校の外にも豊かな学びの場をつくることができます。兄妹それぞれの異なる答えが示すように、子どもたちは環境の中で確かに成長し、自分自身の価値観を育んでいるのです。
次回は「もし兄妹で無人島に取り残されたら」をテーマに話す約束をしました。