アルコール依存症の夫と共依存の私①

看護師 山田祥和

アルコール依存症は本人も苦しいですが、家族も苦しいです。

今回の話は、アルコール依存症の夫を持つ奥さんが、いまだ苦しんでいる家族のためにと協力してくれました。

奥さんの視点で書いていきます。

第一章:最初は「ただのお酒が好きな人」だった

付き合っていた頃から、彼はお酒が好きな人でした。
ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー——どんな種類でも美味しそうに飲んでいました。
デートで昼からビール、定食屋で日本酒、仕事の付き合いで遅くなる日も毎日晩酌。飲まない日はありませんでしたが、私は「よくあること」と思っていました。

「今日はちょっと飲みすぎたな〜」
そんなふうに笑って帰ってきて、シャワーも浴びずにそのままソファーに倒れ込む彼。
いつもお酒を飲んでそのままソファーで眠る彼。布団で眠ることはほとんどなかったです。

彼の飲酒は「日常」になっていました。
飲まなきゃ眠れない、飲まなきゃ仕事にならない、飲まなきゃ話せない、飲まなきゃやってられない。
理由は毎回変わるけれど、結局彼はいつも飲んでいました。


ある夜、私は妊娠検査薬を握りしめながら、ソファーで泥酔する彼を見下ろしていました。
「陽性」
心の中に浮かんだのは「嬉しい」よりも「大丈夫だろうか?」という不安でした。

第二章:静かに崩れていく生活

そして結婚し、娘が産まれました。

毎日飲酒してソファーで眠る行動は変わりませんでしたが、仕事も行けていましたし、お酒による問題行動もありませんでした。

しかし、不安が現実化したのは娘の七五三のときでした。
私と娘は朝から着付けをして、夫と神社で会う約束をしていました。けれども何時間待っても来ません。電話にも出ません。
写真には私と娘しか写っていません。

朝から飲酒してリビングで酔い潰れていたのです。
ソファーで嘔吐して尿失禁していました。

呆れる私と娘の姿を見ても、七五三のことも忘れていて、また飲み始めたのです。
「ああ、この人は、もう普通じゃない
アルコール依存症のことを言っても「俺はアルコール依存症なんかじゃない。やめようと思えばいつでもやめられるんだ」と否認します。

それから夫の飲酒はどんどんエスカレートしていきました。
最初は夕方からだったお酒が、いつの間にか昼過ぎからになり、やがて午前中にも飲むようになりました。

出勤したはずなのに、会社から電話がかかってくる。「今日は来ていません。どうしましたか?」と言われる。
探しに行けば、駅前のベンチで缶チューハイを持ったまま寝ていたこともありました。
会社を休んだことを問い詰めても、「休んでない」と平気で嘘をつく夫。

しかし、夫のスマホの検索履歴には、「アルコール依存症とは、お酒のやめ方」と夫自身も苦しんでいるようでした。

朝から飲酒するようになり、段々仕事に行けなくなりました。体調不良で休むと電話してくれと夫に頼まれ、電話する私。

そしてある日、夫は会社をクビになりました。
理由は「度重なる業務中の飲酒」。私はお弁当と水筒を持たせるのですが、水筒の中身を駅で捨て、お酒に入れ替えていました。



その夜夫は泣きました。私も泣きました。
「どうして俺はダメなんだよ……」
「やめたいけど、やめられないんだよ」

第三章:共依存のはじまり

私はその日から、夫を「守る」ことを自分の使命にしました。
娘を保育園に送り出した後、夫の粗相を片づけ、夫の代わりに謝罪の電話をかけ、夫に代わって履歴書を書き、面接に送り出し、それから私は仕事に行きます。

面接が上手くいかず落ち込んだら励ましました。
「あなたは悪くないよ。お酒さえやめられたら、全部うまくいくよ」
そう自分に言い聞かせるように、何度も何度も口にしました。
でも、やめられません。

やめる「ふり」は上手になりましが、水筒の中身は焼酎だったし、車のダッシュボードには缶チューハイが常備されていました。夫の財布の中はお酒のレシートだけ。
押入れの屋根裏に、ストロング缶の空き缶が山のように隠されていたときは、全身の力が抜け落ちました。

私の中で「怒り」と「悲しみ」と「諦め」がぐちゃぐちゃに混ざり合いながら、
「でも、私がいなきゃこの人はもっとダメになる」と思っていました。
愛情ではなく、情けと執着と恐怖の感情です。

アルバイトすることもありましたが、飲酒、手の震え、無断欠勤で当然長続きしない。

「やめたいけど、やめられない」
夫は泣きながらそう言いました。私はそのたびに「大丈夫、一緒に頑張ろう」と励ましました。
でも、何度いくら寄り添っても、数日後にはまた酔いつぶれているのです。

次回に続きます。

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