引きこもり生活からの脱却 53歳からの再出発④

看護師 山田祥和

前回までのあらすじ

大学卒業後、就活に失敗し、引きこもり生活四半世紀。食事も部屋、トイレはペットボトル、お風呂はほぼほぼ入らない。人と会わないから声も発しない。
好きな時に寝て、お腹が空いたらベルで食事を部屋の前まで運んでもらう。働かないからストレスゼロ。暇つぶしにゲーム。

人生勝ち組。

その中で父が脳梗塞になり、母が介護疲れで倒れ、訪問診療と訪問看護が始まった。
私は気持ちを改め、介護の手伝いをし始めた。

日光を浴びた

家のことや父の介護を行うとようになって、みるみる回復しているのが自分でもわかるようになりました。

こころが軽くなり生活リズムも整い、気持ちにゆとりが出てきました。先生に外に出てみようかなと相談したところ、ゆっくりやってみましょうとのこと。

担当の訪問看護師さんにも相談したところ、目標を決め、振り返りながら少しずつやっていきましょうとのこと。

看護師さんと一緒に最初は庭先、そして道路に出てみる。次は近所のコンビニ(歩いて1分のところにありますが、初めて入りました)

次は歩いて10分のところにある駅。徐々にハードルを上げながら、看護師さんと振り返りながら取り組みました。できた喜びを分かち合うことが、非常に嬉しかったです。

50歳を超えたおじさんが、喜びを分かち合うなんて気持ち悪いかもしれませんが、長年引きこもって半ば諦めかけていた人生に、光が差してきました。

私の場合、一度出て仕舞えば特に抵抗なく電車も乗れました。

さて、その次はどうする?先生に相談したところ「働いてみれば」と一言。

それまで訪問看護師さんから就労移行支援、就労継続支援B型、ボランティア、公民館のサークルなどの情報はいただいていました。

だけど、まさかいきなり働く?今までスモールステップで進んできたのに、一気にステップアップ?

しかし、何故か不思議と自信がありました。
実際にハローワークに隣の駅まで電車で通い、仕事を探しました。給料や休日よりも、通いやすさと仕事内容で探しました。障害者手帳を持っていなかったので、障害者枠での仕事ではなく、一般就労で、面接で引きこもりのことを正直に伝えることを先生と看護師さんと決めていました。

工場

事務

介護

人と関わるのにあまり慣れていませんでしたが、父親の介護の経験を活かして、迷わず介護の仕事を選びました。
先生に履歴書をみてもらい、看護師さんと面接の練習をしました。

父の介護もありましたので、15時までのパート。引きこもりのことも就労経験もほとんどないことを正直に面接で伝えました。

数箇所受けるつもりでしたが、なんと一箇所目で決まり、なんと次の週から働くことになりました。

現在53歳。四半世紀社会との関わりを断っていた私が、老人ホームで働いて一年立ちます。

介護の現場は決して楽ではありません。認知症の利用者さんとの関わり、身体介助、緊急時の対応…。どれも引きこもっていた頃の自分には想像できなかったことばかりです。

けれども、利用者さんが私の名前を覚えてくれたり、「あんた来ると安心するよ」と笑ってくれたりすると、「ここにいてもいいんだ」と思えるようになりました。

いまでは週5日勤務、現場の戦力として数えられるようになってきました。失った年月を取り戻すことはできないかもしれませんが、これからの人生を少しでも自分らしく生きたいと思っています。

最後に――「遅すぎることはない」


「50歳を過ぎてからじゃ遅い」そう思っていた自分が、いまこうして働いています。信じられません。

訪問診療の先生をはじめ、多くの人の助けを借りてここまで来ることができました。自力だけではとても無理でした。しかし、助けを借りることは「弱さ」ではなく、「生きようとする意志」だと、今は思います。

もし、昔の私のように部屋で一人、悩み続けている方がいたら、どうか声をあげてみてください。人生は、何歳からでもやり直せます。ゆっくりでいい。一歩ずつ、前へ。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました。同じような経験をしている方に届けば嬉しいです。

これは以前訪問看護を利用されていた方の話を、私(看護師)がまとめたものです。引きこもりの時から関わっていますが、みるみる元気になっていくのを、そばで感じられて本当に嬉しかったです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA