引きこもり生活からの脱却 53歳からの再出発③

看護師 山田祥和

今回も前回からの続きです。

引きこもり生活四半世紀。そこからどのように社会復帰したのかの話です。

食事もトイレも部屋、ほとんど自室から出ないで生活していた私。父親が病気で倒れ、母親は介護疲れで倒れ、それでも引きこもる私。

ある日スーツ姿の二人の男女が私の部屋の前に立っていました。ドアの隙間から、その姿を見る前から、ノックされた瞬間から、わかっていました。

「少しお話しできますか?」と男性の声が聞こえたと同時に私は「無理です」と言おうとしましたが、声が出ません。そうです。ここ何年も声を出していなかったのです。

それから数ヶ月に一度ノックがありましたが、出ませんでした。

さらに一年が経った頃、法改正か何かで父の介護度が下がり、使えるサービスが減ったのです。父が決して回復したわけでく、サービスが使えなくなったことで母の負担が増えただけなのです。

母のことが心配で今度こそ自分が何とかしなくてはと思っていました。今度ノックがあったら出てみよう、そう決心しました。

待つこと数ヶ月。ノックをここまで心待ちにした人はいないでしょう。

ノックがあり、開けるとそこには男性と女性が立っていました。

「初めまして。精神科医のAです。お会いできて嬉しいです。」

引き出し屋だと思っていた男性は、お医者さんでした。もう一人の女性は行政の人でした。

「何か困り事があったら言ってくださいね」たったその一言です。名刺を渡され、一瞬で帰っていきました。

次のノックを待てません。

私はその名刺に書かれている病院にその日のうちに電話しました。

「助けたいんです」

振り絞って数年ぶりに発した一言は、事務の女性に対してでした。

先ほどの先生に代わっていただき、自分の思いを伝えました。先生からも色々質問されましたが、スラスラ答えられ、また会うことを約束しました。

そこから話はとんとん拍子に進みました。月に一度の訪問診療では、薬の処方はありませんでしたが、人と慣れるのが治療と言われ、週に一回の訪問看護を受けることになりました。

月に一度の訪問診療では、自分の状態を話し、週に一度の訪問看護では雑談をしました。以前は1時間以上人と話すことなんて考えられませんでしたが、自分にとってあっという間の時間でした。目の前の視界が晴れていくのが、手に取るようにわかります。

それからは母親の家事を手伝い、父親の介護もしました。

最初は不安しかありませんでしたが、父の食事介助やおむつ交換をしているうちに、「ありがとう」と言われたその言葉に、胸がじんわりと温かくなるのです。

誰かの役に立てる。その実感が、引きこもっていた私の心に小さな灯をともしてくれました。

部屋から一歩も出られなかった頃の私にとって、お医者さんと訪問看護師さんは「社会との最初の接点」でした。

「そのままでいいですよ」「少しずつでいいんです」と言ってくれる存在が、どれほどありがたかったか、言葉では言い尽くせません。

部屋から出て母と食事するようになり、お風呂はほぼ毎日入り、おしっこもペットボトルからトイレでするようになりました。

次は家の外に出ることです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA