引きこもり生活からの脱却 53歳からの再出発①

看護師 山田祥和

本日は、利用者さんから自分の経験も誰かの役に立てばとお話がありましたので、その体験談を話します。

長い間「このまま一生、この部屋の中で終わっていくんだな」「親が死んだら自分もはい終わり」と思っていた私が、今こうして人と関わる仕事をしているのは、自分でも不思議な気持ちです。でも、そんな私の経験が、今悩んでいる誰かの力になれたらと願っています。

気がつけば四半世紀

私は、中流家庭でとくに問題もなくすくすく育ちました。一人っ子でどちらかというと甘やかされて育ったと思います。小学校中学校と学級員もやり、比較的明るいタイプの子供でした。

大学卒業までは、、、

大学4年になったころ、ちょうどバブルが弾け、就職氷河期となりました。就職浪人なんて言葉もありました。

一流大学ではなかったもののそこそこ名の知れた大学でしたが、私もその仲間入り。10社以上受けるなんて当たり前でした。

受けても受けても受からない、それが当たり前。元々メンタルが強かった私ですが、就職活動が嫌になり、自信がなくなり、気がつけば一年、また一年。

27歳。ようやく入った会社も人間関係がうまくいかず、ひと月で退社。そのまま社会と距離を取り始めました。

30歳、31歳、32歳、33歳、34、35、36、、、



実家の自室から一歩も出ずに過ごす毎日。自信も、希望も、どんどん失っていきました。自分には「何もできない」と思い込み、ただただ時間だけが過ぎていったのです。

人と会わず、親とも働かない気まずさから距離をとっていました。母親が食事を私の部屋の前に置いて、それをパソコンのキーボードの上で食べる。

髪も髭も伸び放題。最後に床屋に行ったのは20年以上前。風呂は入らない。年に数えるくらい。

おしっこはペットボトル。部屋がペットボトルでいっぱいになってしまうのがいやで、雨の日は2階の窓からしゃー。

大便はトイレットペーパーを敷き詰め、その上にして、それを窓から裏山に投げ捨てたこともありました。でも流石にトイレでしてましたね。

アルバイトを2、3日した時期もありましたが、長続きせず。気がつけば50歳。
親の年金と父親のパート収入で生活。

80  50  問題  まさにうちです。

両親は最初のうちは働かないの?と言っていましたが、そのうち何も言わなくなりました。うるさく言われないので、家庭内暴力なんてことはなかったです。常に保護的でした。こころの中で親が甘いからと両親のせいにした時期もありました。

好きな時に食べて、好きな時に寝て、外に出なくてもベルで呼べば食事が運ばれる。

パソコンでゲーム
ネットでアニメを観て、音楽を聴いて自由気ままな生活。

自分と同じ年齢の人は死ぬほど働いて、遊ぶ暇もなく働いて、納税して、納税して、家庭を持てば家族のために、子どものために働いて。

そうです。私は勝ち組です。

ネット上で「私は勝ち組だ」「働くのは頭の悪い奴」「自分のために頑張って働いてくれ」「愚か者の馬鹿な奴らよ」と威張っていました。


こころのどこかで焦りはありましたが。

50歳目前、そんな私の家庭で大きなことが起こりました。

父が倒れたのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA