ピアサポーターになるまで 私の半生④

ピアサポーター 金子祐也

私がピアサポーターになるまでの話を書いています。本日は社会人編です。

1ヶ月でクビ、100社以上の扉──それでも私は立ち上がる

大学卒業後、私は意気揚々と京都のベンチャー企業に入社しました。この会社を世界一の企業にしてやろうと意気込んで入社しました。

しかし、そこでは思わぬ試練が待っていました。「言葉の発音がおかしい」と毎日のように指摘され、「あかさたなはまやらわ」を順に発声練習をさせられる日々。それでも最初は頑張ろうと思っていましたが、結果的に、発音が悪いという理由で1か月でクビになってしまいました。

結局最初の仕事は発声練習だけでした。

それでも「せっかく京都まで来たのだから、失敗で終わらせたくない」という思いから、アルバイトをしながら次の就職先を探すことにしました。当時の私は強かったです。

そのアルバイトはアパレル系のセレクトショップで、発音は指摘されず、接客もスムーズにこなし、意外とうまくいったと思います。そして、ようやく次の仕事が決まり、求人誌の営業会社に入社しました。営業でトップを目指そうと意気込んで入社しました。

しかし、その営業会社ではさらなる試練が待っていました。1日100件以上の飛び込み営業、地図を片手にさまざまな会社を回る日々。歩合制のためお金もなく、昼食代わりに公園の水を飲むという苦しい生活でした。

さらには発音も気になり、人と話すことが怖くなっていきました。

それだけでなく、9時から営業を開始して6時に帰社。その後は深夜12時まで複数のミーティング、さらにその後も残務処理。常に睡眠不足で、体力と精神の限界が近づく中、ある日ミーティングに遅刻してしまい、それが原因かまたもや数ヶ月でクビになってしまいました。わたしのこころは折れ、地元に帰ることになります。

再びアルバイトで立て直そうと、京都で働いていたアパレルショップの地元支店で8か月ほど働きました。

その後、錠剤分包機メーカーの面接を受け、たまたま社長の息子と意気投合したことで経営企画の部署に配属されました。

しかし、入社してすぐに、またもや逆風が吹き始めます。同じ部署の人間からパワハラを受け、日々が苦痛に。暴力に近いものがありました。やめようかと思っているとき、営業部の部長から「海外部に興味はないか?」と誘われ、即答で異動。翼が生えたかのように喜んで飛び回ったことを憶えています。

転んでも、クビになっても、また挑む──転職ジェットコースター物語

けれど、実際移動してみましたが、英語が苦手だったために数ヶ月で再びクビに。まるでジェットコースターのような転職人生です。

次の年、以前その会社に営業に来ていた卸会社の方から「うちで働かないか?」と声をかけられ、機械工具の商社に入社。しかし、ここでも厳しい現実が待っていました。入社してまもなく社長から毎日のように怒鳴られ、さらには同僚からも「パソコンの起動音がうるさい」と言われるなど、パワハラがエスカレートしていきました。それでも、不思議なことに一度も会社を休むことなく通い続けました。今振り返ると、あの環境の中でよく耐えたなと思います。

まるでドラマのようなこの経験、普通の人なら途中で心が折れてしまいそうですが、私はなぜか「次こそは」と思い続けたのです。この先もいろんな困難が待っているかもしれませんが、何か面白いネタにして話せるなら、それも悪くないですよね。

ここまで読んでいただきありがとうございます。まだまだ続きます。

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