訪問看護が「安全基地」になるということ 精神疾患を抱えている人にとっての「居場所」
看護師 山田祥和
不登校や引きこもり、発達障害、うつ病や統合失調症等の精神疾患を抱えている方の中には、「人とのつながりがない」「安心して話せる相手がいない」と感じながら日々を過ごしている方が多くいます。
家族がいても、学校や職場に所属していても、本当の気持ちを話せない。理解されない経験を重ねるうちに、「どうせ話しても無駄」「迷惑をかけてしまう」と感じ、次第に孤立を深めてしまうケースは少なくありません。
そうした中で、訪問看護が「居場所」や「安全基地」として大きな役割を果たしていることがあります。

家でも学校でも職場でもない、第三の居場所
訪問看護は、治療や服薬管理、体調確認を行うだけの支援ではありません。
特に精神科訪問看護の現場では、「安心して過ごせる関係性」そのものが支援の中心になることが多くあります。
不登校の子どもにとっては、学校という緊張の場でも、家庭という近すぎる関係でもない、安心できる第三の場所。
引きこもり状態にある方にとっては、久しぶりに外部とつながれる、無理のない人間関係。
発達障害のある方にとっては、特性を否定されず、「そのままの自分」でいられる時間です。
訪問看護師は、何かを強制したり、評価したりする存在ではありません。
「今日はどうでしたか」「話したくなければ無理に話さなくていいですよ」
そうした関わりの積み重ねが、「ここなら安心できる」という感覚を育てていきます。
訪問看護が「安全基地」になる意味
心理学では、安心して戻ることのできる場所や人を「安全基地」と呼びます。
人は、いつでも戻れる場所があるからこそ、新しいことや不安なことに挑戦することができます。
訪問看護が安全基地になると、
気持ちが乱れたときに受け止めてもらえる
否定されずに不安や弱さを出せる
一人で抱え込まなくていいと感じられる
こうした安心感が、少しずつ心を安定させていきます。
不登校や引きこもりの背景には、「失敗体験の多さ」「否定され続けた経験」「人間関係での傷つき」があることが少なくありません。
訪問看護は、それらを急に変えようとするのではなく、まず安心できる土台を整えることを大切にします。
気持ちが安定すると、生活の質は確実に上がる
気持ちが落ち着いてくると、生活にも変化が表れます。
眠れるようになる、食事量が安定する、身の回りのことに少しずつ目が向くようになる。
こうした小さな変化は、生活の質を確実に高めていきます。
そして、「また働いてみたい」「外に出る練習をしてみようかな」「人と関わってみてもいいかもしれない」といった意欲が、自然と芽生えることもあります。
これは、無理に背中を押された結果ではありません。
安心できる居場所があるからこそ生まれる前向きな気持ちです。
訪問看護は、就労や社会参加を直接的に目標にすることもありますが、その前段階である「心の安定」を何よりも重視します。

何もできなくてもいい、話せなくてもいい場所
訪問看護の時間に、特別な成果が出なくても問題ありません。
横になったままでもいい。
同じ話を何度繰り返してもいい。
沈黙の時間があってもいい。
「何かをしなければならない場所」ではなく、「存在していい場所」であること。
それが、訪問看護が居場所になる大きな理由です。
不登校や引きこもりの方の中には、「役に立たなければ価値がない」と感じている方も少なくありません。
訪問看護は、そうした思い込みを少しずつほどき、「あなたはそのままでいい」というメッセージを伝え続けます。
訪問看護がつくる、人とのつながり
訪問看護は、医療と生活をつなぐ支援であり、同時に人と人をつなぐ支援です。
定期的に訪れてくれる誰かがいる。
自分のことを覚えてくれている人がいる。
それだけで、孤立感は大きく和らぎます。
居場所ができること。
安全基地ができること。
それは、不登校や引きこもり、発達障害のある方が、自分のペースで人生を取り戻していくための大切な第一歩です。
訪問看護は、単なるサービスではありません。
「ここにいていい」「あなたの話を聞く人がいる」
そう感じられる、かけがえのない居場所なのです。


