アルコール依存症の夫と共依存の私②
看護師 山田祥和
前回の続きです。
アルコール依存症の夫とその妻の話です。奥さんがアルコール依存症で苦しんでいる家族の役に立てばと、ご自身の経験を語ってくれました。
第四章:子どもと暴力、壊れゆく家族
娘が6歳になった頃、二人目を妊娠しました。それでも夫はアルバイトを転々としていました。自分の酒代くらいしか稼ぎません。
子どもが産まれれば夫も変わるだろう、そんな甘い考えはアルコール依存症には通じませんでした。

立ち合い出産する予定でしたが、案の定、出産当日酔っ払って来られません。病院には一度来ましたが、酔っ払っていて赤ちゃんを抱っこできる状態ではありませんでした。
車で1時間くらいのところに私の実家はあるのですが、退院後も私は一人で育児をすることにしました。
母に、手伝おうかと言われていましたが、夫が育休を取れるから大丈夫と嘘をついていました。そうです、心配させたくなかったのです。両親には何も話していませんでした。もちろん、夫の両親にも話していません。夫の仕事のことも。
お酒が抜けると子どもをあやしてくれたり、オムツを取り替えたりしてくれましたが、それも数えるくらい。夫はほとんど毎日お酒を飲んでいました。
それまで酔っ払っても、暴力を振るったり、人様に迷惑をかけることはありませんでしたが、ある日、警察から電話がありました。万引きをしたと。しかも常習的に。
それから数回通報されました。その都度私は小さい子を連れて謝りに行きました。近所のコンビニは出禁になりました。
そしてある夜、私は初めて手をあげられました。大学生に酒臭いと指摘されたと怒って帰ってきました。
口論したわけでもなく、夕食を作り忘れたわけでもなく、冷蔵庫にビールが冷えてないという理由で私の頬を叩きました。
「ごめんなさいね」と謝る私にグラスを投げ、私の額から血が流れました。
「やめてー」
娘が泣き叫びました。
私は声を出せませんでした。何も言えませんでした。うずくまる私を娘が抱きしめて守ってくれていました。まだ、6歳の娘が、、、
翌朝、夫は私の傷を見ても何も覚えていませんでした。娘が説明しても
「え? 俺そんなことした? 冗談だろ?」
私は笑った。「ちょっと当たっただけだよ、心配しないで」
それから夫はひどく酔っ払うと暴れるようになり、私以外にも娘にも手をあげるようになりました。私は夫の機嫌を取るように生活し、娘は私と弟を守るように生活していました。

同年代の子どもと比べたら、娘は明らかに大人びていました。下の子の世話をし、私が夫に怒られないように娘は振る舞います。聞き分けが良く、何も欲しがらず、わがままひとつ言いません。
家族としての機能は崩壊していました。
第五章:離れられない理由
下の子が3ヶ月になってすぐに職場復帰しました。働けない夫に代わり、経済的に支えなければなりません。
朝起きて掃除、洗濯して、朝食を作り、赤ちゃんの世話をして、二人を保育園に送り出し、そのまま仕事に行く。
夫のことは、心配かけられない思いから、母にも父にも相談していませんでしたが、会社の同僚だけは知っていました。
目にあざがあったり、腕にかさぶたがあったりすると大丈夫?と気にかけてくれていました。
状況を話すと「もう逃げなよ。警察に言いなよ」と言われたこともありました。
それでも私は耐えました。
「彼のことを何も知らない」
「彼は本当は優しい人なの」
「お酒が彼を変えてしまっているだけ」
まるで宗教です。
夫を助けることだけが、私の存在理由でした。
本当は私の中にも逃げたい気持ちはあったのですが、それよりも、「夫を見捨てた冷たい人間」になるのが怖かっただけなのかもしれません。
朝起きて、私の顔のあざをみて「今度こそ、お酒をやめるから」
何回、何十回、何百回その言葉を聞いたでしょう。
娘が、率先して弟の世話をしたり、夫の機嫌を取ったりしているのを見ると、守るべき家族を、私が壊している、そう思っていました。
しかし、夫を突き放すことができなかったのです。
「私がいなければ、この人はダメだ」
それは、愛ではなく「共依存」でした。
アルコール依存症の人に寄り添いすぎて、自分を犠牲にしてしまう人は少なくありません。
私もまさにそのひとりです。
下の子の世話するのと同じくらい、いやそれ以上手がかかります。酔っている夫を風呂に入れて、吐物を片づけて、眠るまで見守る。場合によっては謝りに行ったり、アルバイトの休みの電話もしていました。
娘は、弟の世話をして、自分のことは何も言わず夫の顔色を見て、私を守る。
気がつけば、私たちの人生が夫の飲酒にすべて支配されていました。
次回は回復の転機を書きます。